アズーわくわく通信
2006年9月号
Little by little, and bit by bit.
こども英語教室では、レッスンを通して、子供たちの英語に対する興味を引き出し、少しずつ英語でコミュニケートする力を育んでいます。こうして、英語でコミュニケートする面白さを感じ、基礎が十分にできあがった子供たちには、更なるコミュニケーション能力と確かな英語力を身につけるための上級のコースが用意されています。
そのコースに通う生徒で、有名なT女子大を目指すA子さんから入試の英語問題に対する疑問の声があがったことがあります。
「大学入試の英語って本当に難しいです。ああいう問題が何の役に立つんでしょう?ネイティブが読んでも理解できないような長文問題っておかしくないですか?優秀な大学を卒業しても英語を話せない人っていっぱいいるんですから、もっとコミュニケーション能力を高めることを考えなければならないのではないでしょうか?」
う〜ん。ちょっと勉強疲れもあったのかも知れませんが、これだけきっぱりと言われるとこちらも思わずうなずいてしまいそうになるところです。ところが、A子さんの主張には明らかに問題があります。
まず、大学入試が役立つとか役立たないとか言っているのですが、大学入試に求められている英語力はあくまでも「教養としての英語」であり、実生活で役立つための英語を志向したものではないという点です。
また、ネイティブも理解できないような長文問題との指摘ですが、正確には、確かに大学入試の英語長文問題を理解できないネイティブもいますが、そうでないネイティブもいるということになります。実際、レベルの高い大学の長文問題は難解です。そこで引用される文章は、論文や評論、小説やエッセイ、時事問題などなど、多岐にわたります。
これまでには、アイルランドの劇作家バーナード・ショウや、駐日米国大使のライシャワーなどの著作物からの引用もあったようですが、こうした方々の著作物はネイティブでも一定以上の教養のある人しか読まないように思います。つまり、一定以上の教養がないと論理的に読み解けない文章とも言えるわけです。
もちろん、同じことは日本人にも言えます。
今、文部科学省が「英語が使える日本人」の育成のための行動計画を策定する時代でもありますので、コミュニケーション能力を高める必要があることは言うまでもありません。しかしながら、実用的な会話力を身につけることと、教養を高めることは次元が違います。大学入試で求める英語力は、その大学が受験者に求める知的水準ですので、そこを目指す学生はそうした知的水準に達するよう日々学習を積み上げていかなければなりません。
「継続は力」って誰もが知っている言葉ですが、この言葉ほど「努力が称えられ」「気持ちが鼓舞される」言葉はないのではないでしょうか?コミュニケーション能力であれ、知的水準であれ、コツコツと少しずつ積み上げていく中に、勝利の栄冠が勝ち取れることを信じたいものです。

